修理屋でボッタクリに合わない為に知識を付けよう。知識が無いと搾取されます。知識を持って話の理解度UP+相手がボってるかの判断に。 ギタークラフトマン&ギターリペアマンの話 Vol.597

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 5 ноя 2024

Комментарии • 4

  • @小浦卆一
    @小浦卆一 9 месяцев назад +4

    「ギター修理はセカンドオピニオンをとるとよい」と先人たちに教わったため、東京近郊(と横浜)の何店舗かを回るようにしているのですが、工房によって対策も金額も全然違うので驚いています。今でもすごく覚えているのは、65年製リッケンバッカー12弦のネック起きで3店舗に相談したときです。
    修理店①は「ネックを削ってできるだけフラットにしましょう。オールドリッケンはクラッシュドパールの希少なインレイが入っているうえ、指板塗装にも雰囲気のあるウェザーチェックが全面に入っているので、指板をネック材から剝いでネック側を削ったうえ再接着すると良いと思います。15万でやります」
    修理店②は「たとえば20フレットより上なんて弾きますか?12弦ギターですよ?弾かないんならトラスロッド締め切って逆反りにさせてサドル上げればテンションかかります。フルアコみたいにするってことです。古い楽器なのでうちではやりたくないのでやりませんが、自己責任でやってみたらどうですか?相談料3000円」
    修理店 ③は「ビンテージリッケンはトラスロッドが二本入っていてネック材と指板材の接着面積が少ないうえ、指板材は柔らかいカリン材。修理店①の手法でいくとトラスロッドが指板材を突き破る可能性があることと、ネックにテーパーをかけるのはやめたほうが良い。修理店 ②の手法はナット部から指板が剥がれるだけで問題外。ネックリセットがいちばんよいと思います。74年以前のリッケン300番台は2005年にデイル・フォーチュン氏が新たなジグを発明したことで、赤外線照射のみでスチームを使わず(塗装にダメージを与えず)安全にネックを抜く手法が確立されているので、それがお勧めです。8万円でやります。しかし、この程度ならブリッジプレートを薄いものに交換してサドルを下げればテンションもかかりますし、そのまま弾けると思います。そのくらいなら2000円でやります。よりひどくなったらネック抜くのでそのときまた連絡ください」
    結局、修理店 ③より2時間以上にわたるヒアリングと、いろんな案を提示してもらったうえ、余った端財でブリッジプレートを作ってもらいました。
    さすがに2時間もかけて相談にのってもらっているので、相談料を払おうとしたら「根本的な解決でない方法でお茶を濁してしまって、かえってすみません」と受け取ってもらえませんでした。2000円で終わってしまいました。
    ほかにもこの修理店③は、50年代フルアコの崩壊したバインディング巻き直しでも他の修理屋より格段に安く(最も高い見積もりを出した修理屋さんの40%の費用で)施行してもらえました。もちろん他の修理屋さんで施工した場合のほうが素晴らしい出来だった可能性もありますが、この修理店③もビンテージタッチアップを得意にしている工房さんっぽくて、私の眼には完璧な仕上がりで全く違和感なく50年代のバインディングに見えています。
    ただし、安ければよいというのでもないのが難しいところですよね。。。
    他にも、えらく高いところがあるのですが、ここは「高いけど、その価値は十分にある」と思っていて、ネック折れや木部崩壊や劣化塗装のエポキシを用いた部分修復の出来栄えがすごくて、ことあるごとにお願いしています。

  • @萩原順子-l6c
    @萩原順子-l6c 10 месяцев назад +3

    随分前ですが、PUを増設しようとある楽器店で聞いてみたら、PU持ち込みでも4~5万円かかると言われ断念しました。暫くして別の中古楽器屋さんで聞いたら、1万5千円前後ですと言われて、そこでやってもらいました。その中古楽器屋さんは、「そんな修理で4~5万もらえたら、今頃ベンツに乗っています。」と言って笑っていました。それ以来、様々な修理や調整、購入はその中古楽器屋さんでしています。

  • @雪崩大吉
    @雪崩大吉 10 месяцев назад +4

    どの分野でも不誠実な業者は、いますよね。他の分野ですが、知人がぼったくられた話しを聞いた事あります。勉強も大事だと思いますが、相手の人間が信用できるかの直感も大事なのかなと思います。ぼったくられた知人は、知り合いに紹介された業者だからと安心して、頼んだそうです。でも、知り合いは、業者と友達だけど、俺は他人だから、ぼったくられたんだろうなと言っていました。